センスよく生きようよ
著者紹介:秋川リサ

第7回

変われる!

「人は、そうそう変われないよ。ましてや、ある程度の年になったら」
多くの人がそう言う。
私も漠然とそう思っていた。いや、そう信じていた。
でも、変われる。いや、変わった。そう、私は変わった。
なぜだろう?

40代で大腿骨骨折をした。 しかも、自宅で! しかも、年末の仕事納めの日!
当時住んでいた家は、半地下にお風呂場があり、そこにお湯を入れに行った。
そして、 階段を一段踏みはずし、折れた。
でも、それに気がつかず (えっ、私、鈍感?) 起き上がってお風呂の給水をセットして、気を失った。

その年の7月8月にあった全国ミュージカル公演で仲よくなったダンサーたちと、忘年会を自宅でしていたときだ。
一人のダンサーが、次のミュージカルのためのレッスン後に参加したので、お風呂で汗を流したいという。その要求を快諾した結果、私はお風呂のお湯張りに行って、大腿骨骨折してしまったわけだ。
あっ、もちろん恨んでなんかいないよ。そのお陰で、私は変われたのだから!

お風呂場で気絶している私が発見されたのは、結構時間が経ってからみたいだ。
なんせ私は、気絶していたので、わからなかったのだ。
いつまでも、お風呂場から戻ってこない私を心配した共演者が見にきて、倒れている私を発見した。
後に医者に言われたが、
「よかったですね。風呂場で気絶すると、たまに湯船に顔つけている人がいて、お湯が上がってきて、窒息死する人がいるんですよ。あなたは洗い場で気絶していて、ラッキーでした」

救急車で運ばれて、大腿骨骨折といわれ、即入院となった。
当時の大腿骨骨折の完治は、4~5ヵ月以上といわれていた。
今は、全然治療法が違うみたいで、骨折個所を数本のネジでつないだら、すぐにリハビリもおこなうようだが、当時は手術も待たされたし、ネジで固定しても2ヵ月近く絶対安静で、動かせるのは胸から上の上半身だけ。
ずっと寝たきりだった。

手術が終わり数日経って、私は途方にくれた。4~5ヵ月の入院。
私の仕事は、私自身が現場に行かなければ、一銭にもならない仕事。しかも、現在住んでいる家をつくるためのローンを抱え、設計図が出来上がってくるのを待っている時期だった。そのうえ、5月から始まるミュージカル「アニー」のポスター撮影も骨折する前日に終わっており、キャスト発表もすんでいた。

どうしよう。「アニー」を降りるなんてことになったら、きっと信頼も失い、もう次の仕事なんて来ないかもしれない。
ローンの支払いだって、待ってはくれない。子どもたちの教育費だってかかる。
シングルマザーになっていたから、相談できる相手もいない。
どうしよう! どうしよう! ばかりが頭を駆け巡るだけで、なんのアイディアも浮かばなかった。

看護師さんが、毎日ご飯を枕元に届けてくれる。右側のテーブルに食べ物、左側のテーブルにおまるが置かれる。看護師さんと交わす会話だけが一日の会話で、後はテレビがお友だち!
気分が落ちるところまで落ちて、どん底の自分を哀れんでも、手しか動かせない現実に気づいたとき、急に可笑しくなってきた。
歩けるのが当たり前と思っていた。歩けるなんて、ありがたいことだったんだ。
広い家が欲しいと思っていた。ベッド一つと食事をのせるテーブル一つ、おまるが一個あれば、人間生きていけるのだ。
そうか、家を建ててローンを払えないのなら、売ればいいんだ。

そんなとき、お見舞いに来てくださった先輩から、
「あなた、ビーズ刺繍習ってたじゃない。キャシー中島のキルト教室があるくらいなんだから、秋川リサのビーズ刺繍教室もあっていいんじゃない? キャシーに相談してみたら? それだったら、もしも前みたいに足が自由に動かなくても、座って仕事できるじゃない」
両手は使えたから、キャシーに連絡を入れたら飛んできてくれて、
「大丈夫、私に任せて」と言った後の彼女の行動は素早く、あれよあれよと、その年の秋からのビーズ刺繍教室の開催が決まった。

本当に、キャシーは肝っ玉母さんだ。17歳から知っているが、ものすごくあったかい家族思いの人で、ユーモアにも溢れ、そのうえ優秀な実業家なのだ。
ビーズ刺繍の田川先生にも、お教室を始める許可もいただいて、秋からのわずかなメドはついたが、さて、ミュージカル「アニー」はどうするか? 
演出家の先生がお見舞いにみえて、言われた。
「気合いで治せ! 待ってるから」

完治するまで退院はさせないという病院から転院して、車椅子でミュージカルの稽古に通い、折れた足に装具を着けて、杖を持った足の悪いハニガン先生という設定にして、公演初日の前日に退院した。

でも、3ヵ月にわたるミュージカルのお陰で、私の足は、むしろ早く治ったように思う。現代の大腿骨骨折の治療は、すぐにリハビリをさせるように、無理にでも動いたことが結果、よかったのかもしれない。

歩けるだけでありがたい。半畳もあれば、人間生きていける。
家を持ちつづけることがたいへんなら、売ればいい。
そう思ったときから、見栄や物への執着心がなくなり、私は解放されたような気がする。

ネガティブ思考だった私が、なにごとにもポジティブになった。
生きてるだけで、ありがたい。何があろうと、命さえあれば、なんとかなるさ。
どん底になったときこそ、アイディアが浮かぶ。
人間、いくらだって変われる。