センスよく生きようよ
著者紹介:秋川リサ

第30回(最終回)

今年の抱負

新しい年を迎えて今年の抱負はなんですか? なんて聞かれても、何もないというのが本心だ。
こう思うようになったのは、今年に限ってのことではない。
還暦を迎える数年前から、生かされているだけでありがたいと私は思うようにもなっていた。
そのきっかけは、友人の死。

彼女と私はお互い20代前半に知り合い、週末、共通の友人たちとホームパーティーをしたり、麻雀大会をしたり、一緒に温泉旅行に行ったりしていた。
お互い結婚しても家族ぐるみでおつきあいが続き、なんでも相談できる親友とも呼べる間柄だった。
彼女は子どもを持つことを望んだが恵まれず、唯一それが残念だったと、50代を迎える頃に言っていた。
彼女は、
「子どものいない共稼ぎの夫婦っていうのもいいものだって、最近気がついたわ。お互い気づかうようになっていくのよね、年をとることに。
互いに元気で定年を迎えたら、いろんな所に旅行に行こうなんて、主人は言うけど、あたしは正直、旅行は女友だちと行くほうがいいな。ねっ、リサ、私の定年旅行は一緒に行ってよね。もれなく、主人もついて来ちゃうだろうけれど」
笑いながら言っていた。

その彼女が定年を迎えることもなく、56歳で亡くなった。
亡くなる半年前、美味しいものが大好きな彼女と一緒に、当時ちょっと評判になった日本料理やさんでご飯を食べていた時、突然、
「健康診断でちょっと引っかかったのよ。精密検査したほうがいいって、大腸ガンの可能性があるっていうのよ。
どこも痛くないし、食欲もあるし、痩せるどころか、最近太ったっていうのに、嫌んなっちゃう」
と、あっけらかんと言う彼女に、私は、
「ガンだって、取りつく人を選ぶわよ。あなたはどう見ても、ガンになるタイプには思えない。
あなた、いつも言ってるじゃない。『私って、ストレスに無縁だわ。正直、ストレスが溜まるって言ってる人の気持ちがわかんないんだよね』って。
ガンの原因の一つに、ストレスがあるって言われてるでしょう。日頃、ストレスに無縁のあなたには、ガンも遠慮して取りつかないよ。だいたいこんなに大食いできるガン患者なんて聞いたことない」
と私は言ってしまった。すると、彼女は、
「そうだね。来週、検査が終わるはずだ、来月の3連休、どっか行こうよ。お手頃な温泉旅館、今からでもとれるか、探してみとくわ」

私は日頃から電話魔ではない。むしろ、電話で長話するくらいなら、会って話すほうが好きだし、電話では要件しか言わないタイプ。それも1回で済ませたいので、こちらからたびたび連絡を入れることもない。
だから、1ヵ月近く経っても彼女から何の連絡もなかったのには、私はどう対処していいのか迷った。
そして、頭の片隅に、もしかしたら検査結果が悪かったのか?と浮かんだ。こういう時、みんなはどうしているのだろう?
何事もなかったごとく、
「どうだった? 検査結果? 旅行どうする?」
って、明るく電話をできる人は どのくらいいるのだろうか?
私にはできない。あるいは、
「もしかして、検査結果悪かったの?
一緒にいい病院みつけましょう。名医も紹介してもらえるよう、私もあっちこっちに声かけてみるから。
大丈夫。元気になるよう 一緒に頑張りましょう」
なんて、勇気づけることも、私にはできない。

最近、身近で起きたことだが、私もよく行くバーの常連さんが、そのバーのママに、
「私、実はね、ガンなのよ。5年ぶりの再発なの。もう、あの抗がん剤の苦しさを味わうくらいなら、このまま天命を全うすることに決めたの」
とあっさり言われたそうだ。
ママも、それほど深刻な状態とは思わず、
「あら、私もそれが理想よ。60過ぎたらボケちゃうよりは、ガンで天命を全うするほうがいいわよね。ボケて周りに迷惑かけるくらいなら 」
と言ってしまったそうだ。

居酒屋を開いていた常連さんは、その後6ヵ月間、店に立ちつづけ、店を後輩に譲渡して、入院1週間後に亡くなった。
バーのママは、
「あの時、5年前より最新治療もどんどん進んでいるんだから、是非試したほうがいいって言うべきだったんだろうか?
私、理想の死に方なんて言ってしまって、まさか、こんなに早く亡くなるなんて思わなかったのよ。だって、自分の店を後輩に譲ったって、亡くなる10日くらい前に、後輩連れてうちに飲みに来てくれたのよ。
ちょっと元気がないかなと思ったけれど、あっけなく 逝っちゃうなんて」

そうだよ。治療法は患者さんが選ぶのが当然だから、周りがとやかく言うことではないが、ガンかもとか、ガンなのと告白された時、私は未だにどう対応していいのかわからない。
私の20代からの女友だちも、その後、入院したとご主人から連絡を受けた。
そして、お見舞いは当人が望んでいないこと、治る見込みがないことも告げられた。
お葬式で彼女の遺影は晴れやかに笑っていた。
もっと生きたかっただろう。もっと美味しいもの食べたかったよね。一緒にいろんな所に旅行したかったよね。
ご主人ひとり残して旅立つのは心残りだっただろう。
同年代の友人をあっけなく亡くした私は、その時から、生かされているだけでありがたいと思うようになった。