センスよく生きようよ
著者紹介:秋川リサ

第27回

シェアハウスPART3

シェアハウスを始めた頃、フランスのドキュメンタリー番組を見たことがあった。
独居老人(この言い回し、あまり好きではないが)が住む一軒家に、赤の他人の女学生が同居していた。
フランス政府が推進しているそうで、老人ひとりが住む一軒家に学生に貸せる部屋があり、朝晩のご飯を学生が要求した時は、食事の用意をし、学校までの距離がある場合は、車なので学生の送り向かえができるのであれば、政府が賃料を払ってくれるのだそうだ。

ドキュメンタリーでは、老人と女学生が本当の祖母と孫娘のように見え、老人が運転する登校の車の中では、
「今日は寒いから、夜は温かいシチュウが食べたいわ」
と女学生が言えば、
「任せて、私の得意料理よ。今夜は腕を振るうわ。おいしいパンも焼いておくわね」
とおばあちゃんが答える。
学校に着いて、おばあちゃんが、
「ちゃんと勉強するのよ。帰りのお迎え、今日は必要?」
と聞けば、
「今日は友だちとお茶して車で送ってもらうわ。
夕飯の時間までには帰るから、お家で待ってて」
と女学生が答えた。
校内に入っていく女学生を見送ったおばあちゃんは、嬉しそうに、
「さあ、今からマルシェに寄らなくちゃ。なんのシチュウがいいかしら」
と言い、楽しそうに車を走らせた。

インタビュアーに、
「他人と暮らすことに、不安や抵抗はないのか?」
と聞かれると、
「不安? 何を不安に思うの? 未来あるこれからの国を背負っていく若者たちに、こんなおばあちゃんでもお役に立っていることが私の誇りよ」
と答えた。

おばあちゃんは若い頃にお嬢さんを病気で亡くし、その後はずっとひとりで暮らしてきたそうだ。
「だからね、孫と暮らす夢は諦めていたの。
だけど、政府の洒落た計らいで、素敵な、しかも優秀な孫娘を私に預けてくれた。
彼女が大学を卒業するまでは、私はくたばれないのよ。
彼女が立派な社会人となって、私の家から羽ばたいていくまで」
もちろん相性もあるだろうから、このシステムを使って、独居老人が学生に部屋を提供しても、うまくいかなかった例はあるそうだが、おおむね双方満足し、学生生活が終わるまで同居を楽しんでいる人たちのほうが多いと、ドキュメンタリー番組は結んでいた。

私の住んでいる周りにも独居老人は増えている。
私もシェアハウスを始めていなかったら、その一人になっていたわけだが。
母の介護をする前までは、近所の老人がお散歩をしているのか、徘徊をしているのかの見分け方もわからなかったし、独居老人が都会こそたくさんいるということにも関心もなかった。
だが、自分自身がそうなって老いていくことで、体の健康はもとより、頭の退化、いつか母のように認知症になるのではないかという不安や、歩けなくなる日が来たらどうしようと心配ばかりが頭いっぱいになった日々に、ひょんなきっかけで、シェアハウスを始めて、本当によかったと思う。

ドキュメンタリー番組に出ていたフランス人のおばあちゃんの言葉でも、共感できるように、私も誰かのお役にたっている。
私の家からまた違う世界へ羽ばたいていく人たちに、少しはお力添えできたのではないかという自負もある。
これって、老いていく人間、もちろん誰しもが生まれた瞬間から老いていき、死を必ず迎えるわけだけれど、自分の老いを痛切に感じる年齢、私も含めた、もう老人と呼ばれても仕方ない年代に入ったとき、なにかのお役に立っているということが、ものすごく自分への自信にもつながることだと私は実感した。

日本中に空き家も増えているという。
そのまま放っておけば、朽ちて通行人の怪我のもとにもなると言われながらも、行政も手がつけられず、ほったらかしで、どうすればいいのかしらと、ニュースでもたびたび報道される。
独居老人が亡くなったのに、誰も数ヵ月気がつかなかったという話も、今や誰も驚かない。
私がもし資金をたくさん持った不動産屋なら、空き家をリフォームして、シェアハウスにすることをおすすめしたい。
そこの一角に独居老人を住まわせて、管理人さんになってもらいたい。

たしかに、私よりもうちょっと年上の人たち、団塊の世代の人たちは、
「他人と暮らすくらいなら、孤独死のほうが気が楽だ」
という人も多いけれど、本当にそうか? 本当にそれでいいのか?
死ぬまで現役と言いながら、もうこの歳になると雇ってくれるところがないと嘆くより、最後のお仕事は、人に必要とされる。
人のお役に立つ。これからの社会を背負っていく若者や日本の文化や言葉を学びにきている留学生や、日本に働きにきている外国人たちに、人生の先輩として、何かしらのお力添えができる人生も、悪くはないんじゃないだろうか。

歳を重ねれば重ねるほど、孤独は心を痛める。
同居人がいれば孤独は解消されるのかといわれれば、そう簡単に解決できることではないけれど、他人様に何かをしなければいけないという役回りを持ってしまうと、あのドキュメンタリー番組のフランスのおばあちゃんのように、夕飯をつくるとか、送り向かえをするとか、そんな役回りでも生きがいになり、人生の誇りになる。
私もそろそろ、そういう役回りのお年頃になったということだ。