センスよく生きようよ
著者紹介:秋川リサ

第22回

舌の成長

子どもの頃、苦手だった食べ物が、今は大好きになった。
もちろん、子どもの頃も嫌いだとは言えず、しぶしぶ食べていた。
「人様が作ったものを好きだとか嫌いだとか言ってはいけない。
出されたものは、三口は食べなさい。
一口で箸を止めたら、相手はまずかったのだと思う。
三口食べて『お腹いっぱいになってしまった』と言えば、相手も納得するから」
祖母の教えだ。
だから、三口はなんでも食べざるをえなかった。

子どもの頃の苦手な食べ物といえば、ふきの煮物やご飯のお供のきゃらぶき、ウドの酢味噌和えなど、なんで食べなきゃいけないのか、意味わかんないって思いながら食べていた。
そうめんなどに入れられるみょうがや山椒の実の佃煮、山椒の葉も出来ればのけたかった。
煮物に入っていた椎茸も、ベロベロしてて食感が嫌だった。
干し椎茸の匂いも好きではなかった。
牡蠣は祖母の好物でよく酢牡蠣が出たが、あの見た目が苦手だった。

仙台小町と言われ、新橋芸者をしていた頃には絵葉書にもなった祖母は、五十代で洗髪の際、頭にあった傷口から細菌が入って、右目を摘出する手術を受けたのだそうだ。
今だったら投薬治療で、右目を失わなくてもよかったのかもしれないが、私も子どもだったので(頭洗うだけでそんなことが起きるのだ。お風呂入る時も気をつけなくちゃ、石鹸いっぱいつけなくちゃ)ぐらいに受け止めていた。

美人と若い頃に言われていた祖母にとって、右目を失ったことはショックだったろうし、当時の医療技術では再生手術もなかったのか、右目が陥没しているように見えて、祖母は写真を撮るのをとても嫌った。
義眼だった祖母の右目は、夜寝る時に外して枕元の水が入った小鉢に入れて眠る。
そう、義眼が水に浸かっている状態を想像してみてください。
まるで酢牡蠣みたいなんです。故に、酢牡蠣は私が子どもの頃は苦手だった。
料理は見た目も大切だ。
だけど、さすがに祖母の好物の酢牡蠣が出たとき、
「おばあちゃんの夜中に置いてある目みたいで、怖くて食べれない」
とは、いくら子どもでも言うことは出来ず、なぜか目をつぶって、三口は食べていた。

今、ふきの煮物やきゃらぶきは大好きに。きゃらぶきさえあれば、白いご飯2杯はいける。
八百屋さんにふきが並べば、必ず煮る。
ウドの酢味噌和えも真っ白なウドと黄色い酢味噌の色合いの美しさ、あのコリっとした食感 (和食っていいなぁ)と思える一品だ。
毎年6月になると、京都から山椒の実を取り寄せる。
一部はちりめんじゃこと炊いて京都風山椒の佃煮にする。
あとは小分けにして冷凍にしておけば、1年山椒には困らない。
京都のちょっと大粒な山椒の実で作る四川風麻婆豆腐は、なかなかの美味である。

みょうがは子どもの頃、狭い裏庭にたくさん生えていて、おばあちゃんに、
「みょうが取ってきて、3個」
と言われれば、私が取りに行くのが役目だった。
当時は、みょうがをポキっと折ると、あの独特の香りが漂ってほろ苦い味を思い出し、(私のだけみょうが入れないでほしいな)と思ったものだが、今は大好きな薬味になっている。
食用として栽培しているのは日本だけらしく(グーグル先生調べ)、日本でしか食べられない希少な野菜だ。
みょうがを食べすぎるとバカになるという迷信もあるが、昨今は更年期障害や認知症予防にも効果があるらしいと言われ、出来るだけ食べたい野菜になった。

近所に昔ながらの八百屋さんがある。
りんご箱をひっくり返した台や発泡スチロールの台の上に、旬の野菜が所狭しと季節ごとに並び、○○産のおいしい大玉キャベツ○○円○○産のおいしい小玉キャベツ○○円など、手書きの値札が貼ってあり、必ず美味しいと書かれていて、微笑ましい。
きゅうりは1本から買えるし、野菜が高騰した時期でも、
「知ってる農家から無理言って送ってもらったから、スーパーより断然安いよ〜」
と威勢よく若旦那が客に進め、常連さんとは珍しい野菜の調理の仕方を教えてたり、会話ができてお財布にやさしい八百屋さんは今や希少価値だ。
その八百屋さんにみょうががたくさん出ると、毎年みょうがの甘酢漬けを作る。
認知症予防にもなるらしいのだから、食べなきゃ損だ。

煮物の椎茸の食感が子どもの頃は苦手だったが、今はあの食感だから椎茸なんだと思うし、特に干し椎茸を使って味の染みこんでいる煮物は大好きになった。
干し椎茸を浸して出る出汁は香りも味も絶品とさえ思える。
牡蠣は今や私の大好物だ。
鳥取にロケに行き、とれたての岩牡蠣を食べたのはいつ頃だっただろうか。
夏に食べる美味しい牡蠣でもあり、サイズも大きく食べごたえもあり、なにしろめちゃくちゃ美味しかった。
それから牡蠣が大好物の仲間入りをし、夏牡蠣や冬の牡蠣鍋が食卓にあがる回数が増えていった。
祖母の夜中に置いてあった水に浸かってる義眼を思い出す時もないわけではないが、今や笑える思い出だ。

見た目よりおいしさを選べる私の舌も大人になったのだ。
姿かたちは老化とともに衰えていくことは仕方ないと覚悟しているが、舌と脳みそは死ぬまで成長させて行きたいものだ。
いろいろな国や全国を回るロケで、私は今までどんな珍味やゲテモノと呼ばれるものでも食べられなかったものは一つもない。
満漢全席という中国の皇帝料理でクマの手や象の鼻もおいしくいただいた。
猿の脳みそもシンガポールでいただいた。
今では動物愛護やワシントン条約で食べられないものも多いが、それ以前の時代だったから出来たことだが、命をいただくのだから、ありがたく食した。
それらのお陰で、舌も成長したのだと思う。

祖母は死ぬ前に仙台のほやが食べたいと言っていた。
私は何を食べたいと言うのだろう?
前はお寿司と思っていたが、昨今ちょっと違ってきている。
夏なら冷汁もいいな! でも、冬だったら何? 
まだ 決められないでいる。