寄らば斬るぞ

1

戦後、最初の忠臣蔵
「殿は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」

「赤穂城」(1952)、「続 赤穂城」(1952)、「女間者秘聞 赤穂浪士」(1953)


 かつて故増淵健氏は、西部劇を観るのに遅れて生まれたことはハンデだと記したことがある。が、氏よりもさらに遅く、昭和33年に生まれた私にとって時代劇を観ることはそれに勝るハンデであったことはここで弁々と述べるまでもなかろう。
 西部劇はまだ、アメリカからビデオやDVDを取り寄せることもできようが、こと時代劇に至っては、戦前の作品は申すまでもなく、戦後の作品ですらフィルムの消失してしまったものもある。
 しかしながら、幼稚園に上る前から亡き祖父の膝に抱えられ、TVで時代劇を観、とうとう時代劇がなくては生きていけなくなった私は、長じて名画座をまわり、すり切れたフィルムで観られるだけの時代劇を観、フィルムセンターや無声映画鑑賞会へ出入りするようになる──いわば名著『殺陣──チャンバラ映画史』の著者、永田哲朗氏のいう“チャンバリスト”となってしまったのである。

 今回から私なりのチャンバラ論『寄らば斬るぞ!』を連載するにあたり、時代劇の華、それも戦後はじめての忠臣蔵、『赤穂城(正・続)』(監督:萩原遼、脚本:民門邦雄、高岩肇(続のみ)、東映、昭和27年)および、その完結篇のごとく制作された『女間者秘聞 赤穂浪士』(監督:佐々木康、脚本:八尋不二、東映、昭和20年)について語ってみたい。

 映画というのは観てみないとわからぬもので、私は、はじめ『女間者秘聞 赤穂浪士』をさる自主上映の会で観た。フィルムは某コレクターが自費で買い求め、死後も保管されていたものだが、あまりに状態が悪く、途中で上映を断念せねばならぬものだった。
 そして次に観たのが同じ自主上映の会でやはり同じコレクターが所有していた『赤穂城』で、こちらは幸い状態もよく最後まで観ることができた。
 やっと3本すべてを観ることができたのは、スカパーの東映チャンネルの放送においてである。結果、『赤穂城』(正・続)と『女間者秘聞 赤穂浪士』は3部作のように見えて完結は別ものであることが分かった。
『赤穂城』では浅野内匠頭の切腹までが、『続 赤穂城』は城明け渡しまでが描かれている。切腹の原因は、強欲な吉良上野介に、清廉潔白な内匠頭が賄賂を贈らなかったため、度重なる屈辱をこうむり、とうとう江戸城松の廊下で刃傷に及んだためというオーソドックスなもの。つまり、討入りシーンのない忠臣蔵なのだが、これはこれできちんと完結しているのである。その理由は後で述べる。

 にもかかわらず、監督や脚本が違う『女間者秘聞 赤穂浪士』が続編のように見えるのは、内匠頭切腹から城明け渡しまでを『赤穂城(正・続)』の場面を流用し、あたかもそれらしく見せているためである。
 また、大石内蔵助=片岡千恵蔵(浅野内匠頭との2役、若々しい内匠頭の美男ぶりといかにも田舎大名の家老といった泥臭さを持った大石を巧みに演じ分けている)、片岡源五右衛門=月形龍之介、大高源吾=加賀邦男といった男性陣、一方、特別出演として招かれている木暮実千代=大石りく、瑶泉院=山田五十鈴ら、出演者が共通していることがいかにもそれらしくみせてしまう。
 が、『続 赤穂城』に堀部安兵衛役で出演していた河津清三郎は『女間者秘聞 赤穂浪士』には出演していないし、前者で不破数右衛門を演じた大友柳太朗は後者では清水一角をやっている、といった齟齬も多々ある。

 そして、『赤穂城(正・続)』が討入りのない忠臣蔵として成立している最大の理由は、GHQの統制と見るべきであろう。いわゆるGHQのチャンバラ禁止令である。
 マッカーサーはまず日本の出版界に対して、軍国主義、国家主義の根絶、自由主義の傾向の奨励を指示、次いで各新聞社、映画会社、劇場などに全13ヵ条のプレス・コードを指示、これによって、時代劇、いわゆるチャンバラは大変な制約を受けることになる。その内容は真鍋元之の『大衆文学事典』にも紹介されているが、それは、

■  此後の作品は当然削除され上演を許さず記
 1、 その主旨に仇討復讐のあるもの
 2、 国家主義的、好戦的、もしくは排他的なもの
 3、 歴史的事実を曲解せしもの
 4、 人種あるいは宗教的差別を取扱えるもの
 5、 「封建主義」を連想させるもの、あるいは希望、名誉の生活を侮辱せるもの
 6、 過去、現在、未来の軍事主義を謳歌せしもの
 7、 いかなる形式にせよ、直接間接を問わず自殺を連想せるものを取扱ったもの
 8、 婦人の服従、あるいは、貶下を扱ったもの
 9、 死、残酷、あるいは悪の栄えるものを描きしもの
 10、反民主主義的なもの
 11、子供の不法私用を思想せしもの
 12、州・国家、人権、天皇あるいは皇室に対し個人の奉仕を謳釈讃美せしもの
 13、ポツダム宣言の主旨あるいは連合軍最高司令部の命令に違反せしもの

 となる。
 真鍋元之いわく、禁句の細かさ、到れり尽くせりというべきだが、劇場や映画会社側の迷惑はひととおりではなかったろう。これらの諸項目の、どれか一つに引っかからないレパートリーというものは、従来の歌舞伎、時代劇の中にはなかったからである。
 忠臣蔵などはまず第1項で引っかかってしまう。が、昭和25年から翌年にかけて東宝は『佐々木小次郎』3部作(監督:稲垣浩、主演:大谷友右衛門)を封切っているし、そろそろ時代劇復古の気運が高まってきた。
 そして何より、片岡千恵蔵も昭和25年、のちに十八番の『いれずみ判官・前後篇』2部作(監督:渡辺邦男、東映)が封切られ、翌26年、市川石太衛門もお家芸の『旗本退屈男捕物控・七人の花嫁/毒殺魔殿』2部作(監督:松田定次、東映)を演じている。
 そして、サンフランシスコ講和条約締結の後、時代劇最強のカード“忠臣蔵”がとにもかくにも封切られたのではあるまいか。

『赤穂城』で他の忠臣蔵ではあまり描かれない挿話、千馬三郎兵衛=清河荘司が登場する。三郎兵衛の話は小説でも池宮彰一郎の『千里の馬』くらいしかないが、とにかく剣客で1日30里を走ることができる。
 大石の吉良上野介=薄田研二(彼は3作とも共通して出演しており、その底意地の悪い演技は絶品。当時は早川雪洲主演の『レ・ミゼラブルあゝ無常・神と悪魔/愛と自由の旗』〔監督:伊藤大輔、東映、昭和25年〕でも、雪洲演じるジャンバル・ジャンを執拗に追いつめるジャベール警部に相当する役を演じている)の人となりを注意する手紙を届けるが、江戸家老たちに、これでは江戸表の面目は丸つぶれだ、国元からの指示は受けぬ、といわれ、手紙が届くのは、切腹の当夜。
 ここで内匠頭が「遅かったぞ内蔵助」と一言。

 切腹に向かう場面では目付・多門伝八郎が庭の桜の木の下に片岡源五右衛門を忍ばせており、ここで君臣最後の別れとなる。
 この場面で光るのは名優月形の演技である。あらかじめ声をかけてはいかん、といわれているので「殿」といいたいのを「と……」といっただけで呑みこみ、涙に暮れる。ただでさえ古武士の風格を漂わせる月形である。その彼が無言の号泣をしているのだ。観ているこちら側も思わず落涙を禁じ得ない。
 従来の忠臣蔵では、後に城明け渡しの使者として赤穂に赴く脇坂淡路守と内匠頭は友人関係にあり、刃傷にあって両手をかかえられて松の廊下を去ろうとする吉良にわざとぶつかり、「この脇坂の定紋を血で汚したな」と打擲するシーンがある。
 が、本作では、内匠頭と脇坂淡路守の友好関係は一切なく、城明け渡しのくだりでは、脇坂の軍勢は城外で酒宴を張って騒いでおり、まるで観る者にとってはアメリカの属国と化した日本の無念が伝わってくるよう。
 その一方で、大石は万感の思いをこめてふりしぼるように脇坂にいう──
「殿は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と。
 日本が戦争に破れて7年、誰もが忘れることができぬ、これは昭和天皇が昭和20年8月15日、国民に日本の敗北を知らしめた玉音放送そのままではないか。後にも先にもこんな台詞のある忠臣蔵はこれ一本である。

 つまりはじめの2部作でいいたかったのは、戦争には破れたが、天皇制は残っている、という叫びにも似た思いだったのではあるまいか。ある宴席でもと東映の重役高岩漢氏にこのことを話したら、「あの頃の映画人は皆、気骨があったからね」とニヤリとされた。討入り場面がなかったにもかかわらず最もナショナリズムの高揚した忠蔵映画として『赤穂城(正・続)』は見事に完結しているのである。

 さて、ここからは『女間者秘聞 赤穂浪士』に話をしぼるが、題名の女間者とは嵯峨美智子で、人身御供として吉良の屋敷に潜入、吉良の寝所を教えて死ぬあやを演じており、山田五十鈴とは親子競演となる。
 監督の佐々木康は、もとは松竹のメロドラマのベテランであり、東映に移籍後のこの作品でも、愛し合う者同士や、大石家の日常が実に細やかに描かれている。
 たとえば、あやと恋仲の間十次郎が江戸で再会したとき、2人の胸に去来するのは、赤穂の塩田での逢瀬であり、そのとき十次郎が吹いていた草笛の音──そして、討入りの際、切られたあやを見つけた十次郎が彼女を抱えるシーンでもその草笛の音が流れるといった案配である。
 また、あやが荷車につぶされた雀の子を土に埋めてやる場面があり、これが、幕府の大名取り潰し政策を象徴している点など、題名通り、女間者が一つの軸となっている。
 さらに大石主税=沢村アキオ(長門裕之)の青春、大石りくが去り状をもらい明日は旅立つという夜にふる涙雨。そしてりくが「御主君の位牌を頂戴して参ります」といって、その後に隠されていた内蔵助のそれを発見する場面など、泣かせ所を心得た演出が続く。
 そして『赤穂城』では懐しや、無声映画時代の大スター、河部五郎が出演しているが、『女間者秘聞 赤穂浪士』では吉良邸の隣に住み、大石らが討ち入るや、高張提灯をかかげる旗本・土屋主税の役で、大谷日出夫が出演している。

 さらに目玉ともいうべきは、戦前ハリウッドの大スターとして活躍し、戦後も『戦場にかける橋』(監督:デヴィット・リーン、1957年、アメリカ)にも出演している早川雪洲が応援出演として参加している点であろう。役名は立花左近。
 大石は身分を偽り、禁裏御用の立花左近として江戸へ下るが、途中で本物と鉢合わせする。が、あくまで左近であるといいはる大石の文箱の紋所に目をやった左近は、これぞ、敵討ちのための道中と知って、自分こそ偽者であったと宿を去る。
 これは歌舞伎の『勧進帳』の安宅の関で、富樫が源義経一行を見逃す場面を借用したもの。左近は戦前のマキノ映画が創造したキャラクターである。

 また、浅野大学による御家再興の道が断たれたと知ったとき、大石のいう「どうでもこの内蔵助に……」の台詞の後には「謀叛を起こさせる気か」の一言が隠されており、忠臣蔵が忠義の士たちの物語から、反逆のドラマへと転換がはじまりつつあることが予見される。
そして、この戦後はじめて討入りのある忠臣蔵は、この討入りを「ある者は暴挙として批難し、ある者は義挙として讃えた」というナレーションをもって幕となるのである。

※3作品とも未ソフト化、スカパー東映チャンネル、BSWOWOWにて、時折、放送する場合あり

フッター