センスよく生きようよ
著者紹介:秋川リサ

第21回

面倒くさい

子どもたちも独立すると、わたしの夜は結構、暇になる。
夕飯を共にする長年、付き合いのある男女の友人もそれなりにはいるが、何しろわたしは 昨今、繁華街に行くのが好きではなくなった。
友人たちは夕飯を食べにどうせ行くなら、テレビで話題の店だったり、雑誌で見た星の付いている店に行きたいと言う。

「繁華街が嫌なら、隠れ家的レストランならどう?
自由が丘の住宅街の中に、いいお店できたらしいよ。
それとも、白金はどう?
この間、みっちゃんが行って、すごくよかったって言ってた。
リーズナブルだし、静かだし」

繁華街が好きではなくなったと言ったのには、騒音や人混みが苦手になったからだけではなく、店や友人のTPOに合わせるために、それなりの準備をしなければならないことが、ちょいと面倒になってきたのだ。
さすがに、近所のコンビニに行くときのスエットで行くわけにもいかず、多少は化粧もしないとね。
若いときは、すっぴん、スエットでも店によっては許してもらえたかもしれないが、もう この年代になると、それなりに小綺麗にしないと、相手に失礼だと思うようになってきたのだ。

小綺麗にするために、薄化粧をしはじめると、なんか気持ちを仕事モードに切り替えているような気分になり、友人と夕飯の約束をしたこと自体、後悔してしまうときがあり、
(これはまずいぞ、相手にも失礼だぞ)
と、わかっちゃいるが、思わずため息が出る。
家の居心地がいい、近所にほとんどのものや店が揃い、遠出する必要がないということもあるが、
「え〜、またリサん家の近所のお寿司屋さん?
たまには遠出しなさいよって言ったって、あなたんとこ、新宿まで5分、渋谷まで15分くらいでしょう? 六本木だってすぐじゃない。
美味しいお寿司屋ができたのよ! 行こうよ〜、ちょっとおしゃれして」
そう、このちょっと(おしゃれして)も面倒くさくなってきてしまった。

ファッションモデルという仕事をしていたときは、世界の最前線の流行の服を仕事でいやというほど着た。
自分でも、高価だったが、気に入れば買って着た。
とても個人では購入できない金額の宝石や毛皮に身を包んで、ショーもした。
このような高価なものを身につけて人に見せるという仕事には、優雅な仕草や、醸し出される気品や教養を身につけなければいけないと、わたしなりに努力もしたつもりだ。

当時の世界中のファッションは、高価でお金持ちの大人が楽しむもので、ファッションショーの多くは、オートクチュールのコレクション。一部のお金持ちのご婦人たちのみに公開されたものがほとんどだった。
その当時の子どもたちは、1年に1回デパートに連れて行ってもらい、デパートのレストランでご飯を食べて、お洋服を買ってもらえたりしたら、ちょっとお金持ちの仲間入りをしたように思い、次の日、学校で自慢したものだ。

ファッションは大人のもので、いつか自分も大人になったら、あんな素敵なスカートをはいてみたい、あんな高価なバッグを買える人間になりたいと憧れた。
その大人のファッションの参考になったのは、映画スターたちで、オードリー・ヘプバーンの衣装はジバンシーということが有名になったし、モナコ王妃になったグレース・ケリーが第一子妊娠中にお腹の膨らみを隠すように持っていた、エルメスのバッグがケリーバッグと言われ、世界中の話題になった。

ファッションは少しずつ時代と共に変わっていく。
若者向けのプレタポルテのコレクションが、パリコレで不動の地位を築きはじめた。
この現象?の貢献者に「KENZO」のデザイナー、高田賢三さんを外すことはできない。
パリで最も成功した日本人デザイナーと言っても過言ではないと思う。
ファッションはハイソサエティの一部の人々が楽しむものではなく、庶民、その中でも若者が楽しむものという流れが、あっと言う間に世界に広まった。
ファッションはパッションであり、若者の主張であるという位置づけになっていったように思う。

そして今、ファストファッションが主流になりつつある。
手軽に誰でも、それほど高価でなく手に入れられる。
店が近くになくたって、ネットで頼めば一部のものを除いて、世界中から手元に届く。
若者のご意見は、
「クリーニング代出して何年も着るより、捨てちゃて、来年新しいの買ったほうが安上がり。
1回くらいしか着なかったら、ネットで売れるし、ファッションってどんどん変わっていくから面白いじゃない。
えー、何年も持ってる服? あー、ブランドのバッグは高かったから大事に使ってるよ!
そこそこの店に行くときは、水戸黄門の印籠みたいなものよ。
服は、よっぽど気に入ったコートとかじゃない限り、シーズン毎に処分するね」
この若者は自称、そこそこ稼ぐ金融関係女子サラリーマン、週末の遊び場は六本木か西麻布が中心。
若者がすべて、この考え方ではないだろうが、自称出来る若い女たち(実際になかなか優秀な子なの)ほど、ファッションは使い捨てが中心になってきたようだ。

で、わたしは六本木の寿司屋に行くのか、行かないのか?
行った!
うまかった。
思ったほどは安くなかったが、でもね、お客は金融業界、IT業界の若者エリート?サラリーマンか、キャバ嬢同伴中年男性、新しく出来た六本木の寿司屋で寿司を食べることもファッションなのだ。
一度か二度と来たら、また新しい店に行けばいい!
寿司屋経営者としては、そこをどう乗り切るかはお手並み拝見。

食べることも、洋服を着ることも、酒を酌み交わすことも、誰かと話すこともすべてファッションとして受け止める時代なのかもしれない。
わたし、その表面だけのファッションに飽きて、遠出が面倒になってしまったのかもしれない。