センスよく生きようよ
著者紹介:秋川リサ

第18回

想像力

昭和育ちの私は、小学校時代、本を読めと家族や教師から常に言われていた。
私は、幼稚園時代から電車とバスを利用して約1時間かかる学校(幼稚園)に通っていた。ラッシュには会わずの方向だったので、常に座席に座れ、読書には最適な環境だった。

我が家は裕福な家庭ではなかったので、読みたい本は再従兄弟(はとこ)の家から借りていた。
教員をしていた再従兄弟の父親は、書斎を持っていて、本棚には本がたくさんあって、そこには少年少女世界文学全集も並んでいた。
全何巻だったかは覚えていないが、すべて読んだ記憶がある。

子どもながらにとても感銘を受けたのは、ヴィクトル・ユゴー作『ああ無情』。昨今は『レ・ミゼラブル』のほうがわかりやすいと思うが。
子どもながらに、貧乏と理不尽はなんとかしなければいけないと思った作品だった。

大人になってから、シドニー・シェルダン作品が好きになった時期がある。
超訳になる前の文庫本で出会って、はまった。
彼は脚本家でもあったので、短い言葉の表現の中に場面や風景のゴージャス感、主人公の感情の起伏が表現されていて、その前後の文章で、私なりに情景や感情を想像するのが楽しかった。

突然、今でいう超訳のシドニー・シェルダンの作品が流行になった。
「えーー、 あの私の好きな作家の?」
文庫本から立派な大きな本になり、表紙も華やかになって 新刊だと思って買った私は、途中まで読んでびっくりした。
もう、とっくに文庫本で読んでる作品を、タイトルを変え表紙を派手にして売り出したものだった。
それ以上に驚いたのは、超訳をした翻訳家の感性なのか、こまごまとした情景の説明や (翻訳家、あなたの感情や感性は入れないで。淡々と翻訳だけして)って言いたくなる超訳がされすぎていて、私の想像力はいらないんだと思って、正直がっかりした。
まっ、だから超訳とタイトルの下に大きく入れているのだろうが。

超訳ゆえか、必要以上の説明を文学にはして欲しくない。
間違っていたとしても、その文脈から、その当時の自分が何を想像し、何を感じたかが大切で、同じ作品を後年読んで、また違う受け取り方や、違う想像をすることが、人生を過ごして来た醍醐味のように思う。

想像力、これを養えと私を育てた祖母はよく言っていた。
これは、夢想ではない。
空想でもない。
想像力とは、カント哲学で、感性と悟性という2つの異質な能力を媒介する能力。構想力。
これ、Yahoo!辞書から引っ張りました。
私なりの理解は、彼(カントさん)が言っているのは、頭で考えていること(想像)と行動(言動も含む)をどう表現するか、どう合体させるか、ということだと私は思っている。
だからこそ、想像力って必要だよね。

日々の生活をしている中では、想像力は基本で、
(こんなことを言ったら、相手はどう思うか?)
(こんな行動をしたら、周りはどう感じるか?)
もちろん、相手あってだけの人生ではないけれど、一人でも本当は生きていけるさーと 言いつつ、やっぱり、誰か、時を共有してくれる人がいたほうがいい。

想像力は、自分が生きるための原動力であるとともに、会話や時を共有する相手や、周りへの配慮を持った感性だと思う。

「想像力は持ったほうがいいよ。磨いたほうがいいよ」
と、よく行く近所のたこ焼き屋さんの常連さんの青年に言ったら、
「いやいや、想像したら、もう、すれ違う女を誰かれ構わず、押し倒したくなりますよ」
と言い出し、たこ焼き屋さんのマスターに、
「おまえ、何想像してんの? 今話してるのは、想像力の話だよ。リサさん、こいつに話しても無理だな。想像力の前に想像することが、下半身しかないんだから」
と言って笑ったが、下半身のことであれ、なんであれ、想像力があるから、女を押し倒さない、犯罪はしないという判断ができるのであれば、ある意味、立派な想像力だと、青年には伝えた。

想像力を磨くのは何が一番いいかは、人それぞれあるだろうが、私には本が一番役立った。
時にはヒロインを自分に置き換え、悲劇やロマンスを実体験のごとく受け入れて、実際には味わえない人生を味わった。
想像力を持って本を読むと、訪れたことがない日本や海外の町や村も、何年も住んだことがある町や村に、私の中では変わっていき、時空も超えて、ヨーロッパの中世や日本の戦国時代にも自分が生きたような感覚が持てた。

昨今、本の売れない時代、本を読まない世代が増えたと言われるが、紙に印刷されたものが本とくくらず、ネットでもいろいろ読める時代にもなったのだから、想像力を養うのに ネットだって結構、役立っていると思う。

最近、ニュースやワイドショーでもよく取り上げられているが、
「なぜ、あんな発言を、相手の気持ちを考えず断言できるのでしょうか?」とか、
「似たような事件や事故がしょっちゅう起きていて、そのたびに、マスコミ対応の不備を指摘されているのに、また同じような不備が起きる。学習能力がないんでしょうか?」とか。
学習能力もないんだろうが、想像力も欠如しているのだと思う。
若者より、ある程度人生を送り、それなりの地位や権力を持った人のほうに多い傾向があるのは残念なことだ。
自分の地位が安定すると、そこに居続けることのみ執着し、周りへの配慮がなくなるのは悲しい。

本当は安定した人生なんて、万に一つくらいしかなく、今日は何事もなく暮らせているが、 明日は天変地異が起きるかもしれない。
明日のことはわからないという想像力があれば、人は傲慢にはなれないと思うのだが。
今やロマンスのかけらもない人生を歩んでいる私としては、大恋愛の本でも読んで、大いに想像力を酷使して、愛に溢れた女に変身してみるか。